あなたの優しさが次に繋がるブログ:29-1-17
未熟児で生まれた俺は病弱で、
小学校に入るまでは病院と縁が切れず、
入退院をくり返していた。
歌が得意な俺は、
ベッドの上でおもちゃのピアノを叩いては歌い、
看護婦さんに飴や板チョコをもらっては、
上機嫌だったとお母さんに聞かされた。
「三つ子の魂百まで」と言うけれど、
俺のピアノ好きはその頃から始まったらしい。
俺は戦後の混乱の中で小学校に入学した。
先生のピアノ伴奏に合わせて歌いながら
俺もピアノがほしい、
弾けるようになりたいとずっと思っていた。
しかし敗戦後の衣食住にもこと欠く時代のこと、
バラック住まいの俺の家にピアノは高嶺の花だった。
俺が高校生になって間もない頃、
同じコーラス部に席を置く友人の家に遊びに行った。
応接間に黒塗りのピカピカのピアノが鎮座し、
友人が「弾いてもいいよ」と鍵を開けてくれた。
俺は学校にある壊れかけたオルガンで練習していた
「春の小川」を両手で弾いてみたが、
俺の春の小川はさらさら行かなかった。
友人の家で恐る恐る触れた鍵盤のひんやりと冷めたい感触と、
お腹にズンと響く重い音が、ピアノへの憧れを一層募らせた。
興奮さめやらぬ俺は
その22時、お父さんにピアノを買ってほしいと懇願した。
お父さんは一瞬、困惑した表情をみせたが…
「この狭い家にピアノを置く場所が何処にある。
ピアノを弾く暇があったらもっと母さんの手伝いをしろ!」
吐き捨てるように言うと
お父さんは乱暴に障子を開け部屋を出て行った。
俺は唇をかみしめ、
お父さんの少し痩せて小さくなった背中を見送った。
それ以後、ピアノの事は一切クチにしなかった。